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「家族のために仕事を頑張る」という言葉の意味

本記事は、Attunedライターフェローシップで選ばれたタニア・ラベサンドラタナによる、内発的動機についてのニュースレターから厳選した記事をお届けしています。


私はずっと「働くかっこいいママ」になるのだと決めていましたが、それは決して、家の中で子どもたちと一緒に仕事をすることを意味してはいませんでした。仕事と家庭が対立することなく、子どもたちのいる生活を楽しみながらキャリアを充実させることがどこまで可能なのか、正直あまりわかっていなかったのです。

しかし今の私は、そのどちらも大いに楽しんでいます。

フェルトペンで絵を描く5歳の子と机を囲み、オンライン会議の前には「少し子どもの声が入るかもしれません」と断りを入れ、ただいまを言った後にソファーで記事の編集をし、仕事のランチに特に何を気にすることもなく母親と長男を連れて行き、何より家族からインスピレーションを受けて、仕事のための物語を書いているのです。

仕事と家庭の境界を曖昧にすることが簡単だとか、至福の時だとかということが言いたいのではありません。これは私の生活そのままなのです。

曖昧な境界線

高速インターネットやモバイル機器の進化、また新型コロナウイルスによるロックダウンや子どもたちの在宅学習は、仕事と家庭生活の境界線をとても曖昧なものにしました。

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アメリカコネチカット州に拠点を置く、働く親に焦点を当てたリーダーシップコーチ兼コンサルタントのジェシカ・ウィレン氏は「柔軟性は仕事の未来だと思いますし、一般的にそれはポジティブなことだと思います」と言います。しかし同時に「いつでもやりたいときに仕事ができるという期待が、自律性を捨ててしまうことに繋がらないように」注意する必要があるとも言います。

そう、境界線が薄れていくのは、誰にとっても嫌なものです。集中力を保って自分の役割を全うするには、努力と時間、そしてサポートが必要です。

それでも私は自分の人生の重要な部分を家族と共有できることに感謝していますし、むしろ仕事を理由に家族のことや自分の私生活を軽視する必要はないと思っています(嬉しい出来事、育児の制約、親戚の病気など、それがなんであっても)。

ウィレンは、ニュースレター「A Cup of Ambition」の中で、この「隠蔽と最小化」(脚注1)に警告を発しています。

もし私たちが親であることを謝るのをやめたら、何が起こるでしょうか。境界線をより頑ななものにして、もっと頻繁に「ノー」と言い、仕事以外にも人生には大切なことがあるべきだと主張したら?親であるという、私たちの最も重要なアイデンティティの一つを隠すことをやめたら、何を得ることができるのでしょうか。同僚は?そして何より、私たちの娘や息子は?そして、そして最も重要なことは、もし私そうしなければ、私たち(そして彼ら)は何を失うのか、という問いです。

家族を職場に持ち込むことで、モチベーションを高めることができる

スイスのチューリッヒ大学経営学部のヨッヘン・メンゲス教授は、「仕事と家庭の対立に関する研究はたくさんありますが、それらの多くは物事を複雑にし、全体として無理があると言っています」と述べています。仕事と家庭の豊かさに関する研究も増えていますが、これを書いている時点では、前者(Google Scholarでの検索結果は10万5000件)の方が後者(ヒット数はわずか8900件)を上回っています。

メンゲスは仕事における家族のモチベーションに関する最初のフィールド調査を行い、2016年にオンラインで、2017年に印刷物として発表しました。メキシコの工場で単調な低賃金の仕事をしている女性97人を対象にした研究で彼は「家族のモチベーションは、内発的なモチベーションが低いときに仕事のパフォーマンスを高めるーエネルギーを提供するが、ストレスを減らすわけではない」ことを発見しました(脚注2)。

「単調で退屈な仕事でも、その仕事が何か大きなものへの入り口だと思えば、うまくいく可能性がある」ということだ、とメンゲスは言います。それは単に稼ぎ頭になるためだけではありません。「多くの社員が、自分の子供たちの模範になりたいと考えています。彼らは、きちんとした仕事と立派な人生を歩んでいることに誇りをもっています。」

つまり上司は社員が家庭生活を職場に持ち込むことで、社員のモチベーションを高めることができるのです。社員に子供の写真を飾らせる、たまに家族を職場に招待する、社員の業績が評価されたときに家族も褒める、などのやり方が考えられます。

「今こそ、家族が仕事に参加する時なのかもしれない」
Jochen Menges

ネガティブな側面

私はメンゲス氏に、家族のモチベーションが悪用される可能性について尋ねました。上司と家族でピクニックに行くことで劣悪な労働条件を埋め合わせることができるかのように、家族から来るモチベーションが搾取に繋がる可能性はないのでしょうか?

もちろん雇用主は良い賃金と労働条件を提供すべきであり、社員にできるだけ自律性を与え、単調な仕事を最小限にするよう努めるべきだとメンゲス氏は言います。「しかしだからといって、家族のモチベーションが不必要だということにはなりません」。

2020年に行われた、中国の低賃金繊維労働者と高所得のホワイトカラー社員数百人をサンプルにした別の研究では、家族のモチベーションは、パフォーマンスを活性化させると同時に低下させる諸刃の剣であると論じています。

この論文によれば、家族のモチベーションは、社員が自分の仕事を「それ自体が目的ではなく、家族のために経済的支援を得るための手段」と考えるようにし、それが創造性の低さと関連するといいます。つまり子どものために仕事をする場合、社員は安全策を取る傾向があるのです。そして家族の経済的圧力が高ければ高いほど、社員の家族に対するモチベーションも高くなり、特に女性の場合はそうなります。

SFのような未来

この記事を調べながら、小児科医で子育て作家のカルロス・ゴンサレスが、子育てと仕事の融合は避けられない、望ましいというだけでなく、必要だと言っているこの言葉をずっと考えていました。彼はこう書いています(脚注3)。

「現在の経済組織はストレスが多すぎるし、生物学的に必要なものと衝突しすぎています。もちろん赤ちゃんを連れていくには危険すぎる職場も、そもそも不可能な職場はたくさんあるでしょう。しかし他の多くの場所では、合理的な理由ではなく、習慣的に子どもがそこにいることが禁止されているのです。いつの日かホテルのフロント、税務署の職員、映画館のチケット売り場の女性、旅行代理店などが、赤ん坊を抱いて私たちの応対にあたることになるでしょう。(中略)いつの日か私たちの孫当たりの世代で、子どもを連れずに出かける親が登場する映画を見て驚くことになるでしょう。しかしそれは最初の一歩に過ぎません。父親もまた、仕事と生活を本当に調和させる苦労を知ることになるからです。畑や家の仕事場を駆け回っていたように、いつか子どもたちがオフィスやお店を駆け回る日が来るはずです」。

5年前にこの文章を読んだときは、こんな光景が実現する日が来るなんて、全く想像できませんでした。

上記で少しご紹介した言葉の意味が変わって見えるのではないでしょうか。そう、「今こそ、家族が仕事に参加する時なのかもしれない」。

脚注

1. Wilen links to this Atlantic piece by Brown economist and parenting author Emily Oster, who lists similar examples.

2. Family motivation is one type of prosocial motivation: being motivated to do work because it benefits other people. I wrote about this in #9: Can everyone afford intrinsic motivation? (Part 2)

3. This is from González’s book Breastfeeding Made Easy, which is available in English. I translated the excerpt myself from the original in Spanish.


Tania Rabesandratana

Science Journalist & Attuned Writer Fellow 2021


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